ネパール、ロックダウン中。ポカラ滞在 28日目。今回は、この4週間で、ストレスに対処するのに、自分の心境がどう変わってきたか、っていうお話。
いま毎朝、瞑想するのが日課だ。
朝、瞑想していると、風が、鳥の声が、朝日がとても気持ちいい。自然が与えてくれる美しさは、コロナ以前と何も変わらない。僕が自然を好きな気持ちも、以前と何も変わらない。僕の外にも中にも、変わらないものがあって、瞑想中、そこが安全な居心地のいい場所になる。とてもリラックスできて、役に立っている。
毎日瞑想していると、この4週間で、自分の心境がどう変わってきたのか、分かりやすい。ロックダウンで、室内にいて、1日のスケジュールは毎日毎日、ほぼ同じ、だから、尚更余計にだ。
現実を見て、受け入れるのは、ラクじゃあない。それは、ストレスを必ずつくるから。でも、そのストレスを受けながらも、適度な距離間をとるには、どうしたらいいか?瞑想で感じた、心境の変化を書いてみた。
まず1番最初、ポカラに着いた頃は、【有難い】と思った。トレッキング中に、急に宿も食事も取り上げられ、路頭に迷う状況から、宿もあって食べ物もあって、いたって快適に過ごせることにだ。1泊300円の安宿で、決まったメニュー、食事しか食べれないこと、移動もできずに、快適さを感じるかどうかは、人それぞれだ。(ここに比べたら、日本はまだ全然選べる)「選択できること」と、「快適さ」はまた別の部分もあるからね。
でも、僕は今、充分快適に過ごしてる。それは、この環境も、日々も有難いもんだと思わせてくれる。ロックダウンした国の中で、ネパールだったことは、ラッキーだったと思う。本当にそう思うんだ。これも、今までした旅の経験が生きているなあと思う。
次は、【楽観的】にも考え始めた。不安に対処するには、前向きにこの状況を捉えようとした。つい、できないことに目を向けたくなるんだけど。例えば、いつ帰国できるのか?とか、何が解決されれば帰国できるのか?とか…。まあ、調べてみたけど、無駄よね…解決するべき、問題の山にうんざりしてしまうだけだ。それに、今の状況と、この先、未来の状況は、変わる、1週間先でもだいぶ違うんだから。
うん、だったら、この機会に、いつもできなかったことをする、そこから満足を得ることができるだろう。また自分のハードルをさげれば、ささいなことにも、楽しい、嬉しいはあって、そこからも満足を得ることもできるだろう。
考えることは大事。でも、考えすぎることは、良くない。まず「悲観的」な心理状況ってのは、長くなると、体も心も持たなくなる。それは、たとえ、コロナにやられなくても、健康は正常に維持できなくなる。恐れや不安に強い人なんて、いない。恐れが強くなれば、眠れなくなったり、妄想したり、まだ起きてないことも恐れ、さらに恐れは強くなるだろう。
そうすると、誰かに不満をぶつけることで、対処しようとするかもしれない。その結果、感染者やその疑いのある人への差別的な行為、ネットやメディアなどでみる無責任なヘイトコメントや反応、また家庭内暴力が起きたり、などなど。これは、正常な反応ではなく、怒りや妬み、偏見を伴なった病的な反応だ。それは、冷静でない。
まず、その方法でストレスを一時的に発散したとしても、それはまた次のストレスをつくる原因になるので、やめよう。ちっとも健康的ではない。誰も幸せじゃあない。
できないことに不満を持つことと、できることから満足を得ること、どっちも選べるじゃないか。じゃあ、どっちを選びたいか?って話だ。
次の発想は、【もし私が自然(地球)だったら…】って考えた。今、世界中で人間の活動が制限されている。そのおかげでコロナで亡くなる命に比べて、助かる命のほうが莫大に多いってことでしょ。犯罪や交通事故が減り、戦争や争いが減り、海や山の汚染が減り、たくさんの命(人間だけじゃなく、動植物すべて含めて)が、確実に助かっている、それは事実だと思う。それは想像の範囲だけど、そう考えることは、まともな考えだと思う。
今までに人間が破壊してきた自然。地球を汚し続けて、傷つけてきた傷が、今、地球自身の生命力で治るのを待つような感じ。
この「待つ」って感覚だ。それは、自分がもしケガや病気をしたならば…待つよね。必ず治るという希望を持って。その免疫力(生命力)、自己治癒力、奇跡的な命のメカニズムを信じてあげること。傷や病が治るのは、100%自分の力ではないってこと。だって、100%コントロールできないからね。だから、出来ることは信頼して、委ねて、安静にすることしかできない。
そういうときに、「お祈り」も有効だと思う。今、世界中の人がコロナの思考にずっと縛られている。そして早く終息することを、みんなが願ってる状況。そういう意味では、国同士は閉鎖して行き来出来ないんだけど、世界中の人の思念は同じ方向を向いているんじゃないか?
だから今、自分の安全を祈ることが、そのまま世界中の人の為に祈ることに繋がるんだと思う。だって他人事じゃないからね。そんな状況、今までになかったよ。これって凄い状況じゃないかな?
祈るって、宗教儀式じゃないよ。自分や大切なひとや誰かが安全でありますように…っていう、優しい気持ちを念じる時間を1日の中に持つ。それは、どこでも、誰でもできる自由な行為。その誰かをもし地球、自然全体に向けるなら、今、「待つ」ことは、それは自分の内に「優しさ」を育む時間にもなると思う。
そして、もし身近な人が病気や怪我から治ったら、その人に「お大事に」「お疲れ様」って、優しく声をかけるだろう。それと同様に、これからの、この世界と向きあっていきたい。その方法を、これから選択できる。今までより、優しさを加えたやり方で。
今まで書いたことは、「ストレス」に対処する、自分なりのやり方、心境の変化ではあるけど、瞑想したから悟った(笑)訳じゃあない。瞑想自体が答えにはならない。それは心を落ち着かせて、心を眺めるんだけど。
何が正しくて、何が間違いなのか?その答えは、いつも変わる。結局、答えは自分の中にある。それを冷静に見る為に、瞑想をする。それを見て見ぬふりをしないように、瞑想を続けている。そして、物事を客観的に眺められたら、正しいも、間違いもなくなって、ただ今の瞬間にリラックスできる。
「自分の思考が、そのまま形になって世界が現れる」ヨーガの教えは、そんなふうに世界を表現してくれるけど、、、
じゃあ、次の思考は?
次の世界は?
どんなふうに行動したいのか?
今の体験から学ぶことは何だろう?
最近は、そんなことを考えてる。