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瞑想コースを終えて【2023年版】



 

2023年 6/9から~20まで、

約3年ぶりに、2回目の「ヴィパッサナー瞑想10日間コース」に行ってきました。

 

ここでのコースがどんなものかについては、1回目の時に、こちらに書きましたので、1度これを見て、さっと読まれてから、この先を読まれるといいでしょう。

naturallifeyoga.hateblo.jp

 

(注)今回書く内容は、自分のための忘備録として残すのが目的なので、内容はとてもマニアックです。また、瞑想で得られる体験は人それぞれ、千差万別なので、この内容を読んでも、鵜呑みにしないでくださいね。

 

 

朝から晩まで1日10時間以上座るとどうなるのか?それを10日間続けるとどうなるのか?以下、今回の体験記、感じたことです。

 

■今回の瞑想体験(のごく一部です)

※瞑想での体験は感覚で感じることなので、文章で表現できる部分はかなり限定されます。

 

・前回は3日目くらいまで、足が痛かったけど、今回は不思議と1日目から何ともなかった。体が1度それを経験していることで、「心が拒否をしない=体はそれに従う」 というのが分かった。

 

・このコースの内容は毎回、同じでゴエンカ氏の録音に沿って行われる。なので、前回と全く同じ内容。だから、やることも一緒なので、心は従いやすい。

 

10日間流れはこんな感じ
【1】最初の3日間はひたすら呼吸の観察をする。そして観察の範囲をより狭くしていく。これによって、くり返し、くり返し、何度も集中を深めていく練習をしていく。それは、まるで刃物を研いでいくように。

 

【2】次の6日間は、体の微細な流れを意識する。集中力が増すと、体中にいろんな感覚がでてくる。最初は外側から、段々と内側へ入っていく。かゆい、痛い、しびれるというのは、外側に起こる粗雑な感覚なので、内側に入っていくと、その感覚は全くなくなり、気にならなくなる。

 

【3】最終日の10日目は、おしゃべり禁止が解かれるので、一気に集中度はなくなる。前日9日目までの磨いた集中力は嘘のように感じる。もう戻ってくることはない。

 

 

これらはまるで、山登りのようだ。

(1)最初は下界から始まって、雑な想念だらけ。集中は浅い。景色はよくないので、キツイ、しんどい、苦しい。体は下界からまだ慣れない。

 

(2)次に、山の中腹まで来ると、体が慣れてくる。景色が段々と良くなってくる。段々と雑な想念が少なくなってくる。でもまだ波があって、集中が高い時間、低い時間のコントロールできない。たまに見えるいい景色、でもまた見えなくなる、といった繰り返し。

 

(3)次に山の頂上付近に来ると、見えるのはいい景色だけ。雑な想念はなくなって、ピュアな純粋思考になる。集中が高い時間が増えるのと、集中が低いときでも、それなりに楽しむゆとりができる。集中力を(低ー中ー高)とコントロールしやすい。山の上からの景色を楽しめるのは、山を下から登ってきたからだ。ロープウエイや飛行機でポンと辿り着いたとしても、同じ景色は見れない。
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(4)そして、最後の日は頂上から一気にくだって、下界に戻る。もう頭の中は、雑な想念が戻ってくる。

 

 

・普段、厄介なのは、自分に嘘をついている目線(つまり自分にとって都合のいい目線)で、世界を見て、選択し、行動をしているので、その目線で正しい選択をしようとしても、「自分にとって正しい見方」で選んでいる。そのフィルターは、なかなか外せない。

 

でも、心が繊細になっていくことで、自分に嘘がつけなくなる。(※繊細というのは、壊れやすいという意味ではありません)すると今まで逃げてきたもの、蓋をして閉じ込めて見ないようにしてきた想念、感情が出てくる。

 

でも、同時に「自分に正直な見方」でそれと向き合うことで、普段、絶対気づかない部分に気づいたり、実は自分はこうしたかった、あのとき相手はこうされたかったなど、見方の修正ができる。一度それに気づいたら、日常に戻っても、もう見方は依然とは変わっているので、次に同じ間違いの選択をしない(だろう)と思う。

 

またそのとき(閉じ込めてきた想念がでてきた時)に、怖い、嫌だ、また逃げよう、という気持ちにはならなくて、むしろ心が冷静であると、同時に安らいでいるので、受け止めるし、受け流すのが肯定的にできた。このとき、悲しみ、痛みは感謝にかわる。

 

 

・「不安な感情」をつくるのは、「不安をつくる想念」が頭に湧くことで始まる。それが嫌な気持ちにさせるのが、わかるので、「不安をつくる想念」が湧いた瞬間、頭の中から追い出すことができる。将来のことを考えるとき、通常ならば、不安要素がかならず想念とセットでわいてくるけど、それ無しで考えることができるので、前向きに、客観的に考えることができる。

 

 

・時間/場所の感覚がなくなる。集中の深さをある程度コントロールできるようになった。すると、15~30分くらいは、時間を飛ばすことは可能になった。(つまり、時間を全く感じない空白時間が15~30分、自由自在にできる)また、深い集中から戻る瞬間、いつも「あれ?ここどこだっけ?」と、夢から覚める瞬間のように、いつも忘れる。時間も場所も自分でつくっている、「時間と場所の想念」から生まれる、しかも割と浅い部分なんだと分かる。なので、深い集中では、時間と場所の想念は消える。

 

 

・体の表面に、また体の内側に、(それは選んだ場所に自在に集中をすることができる)、まるで炭酸のようにプチプチと、まるでさざ波のようにユラユラと、エネルギーの流れをそこに感じることができる。現れては消えていく、また強い、弱い、ゆらゆらと。1カ所に集めるとその部分がジワジワと温かくなって気持ちがいい。体中に流すと、その部分部分が流れるようにサワサワとしてくる。このとき、ミクロもマクロも一緒で好きな場所でズームイン、ズームアウトできる。

 

 

・5感が鋭くなってくる。自然は優しく、美しく、癒してくれる。朝日、葉の水滴、蜘蛛の巣、小さな花、虫の営みもまた美しかった。味覚が鋭くなると、素材そのもので充分、それが超美味しくなり、ご馳走になる。なので、とっても薄味な食事、ゆでただけの野菜、フルーツ、少量でも満足感がある。(施設ではそういう瞑想に適した食事が提供される。)もっともっとが無くなることで、今ここで満足できるようになる。あー、これって、1番簡単にシアワセを感じられる秘訣なんじゃないか、と思った。

 

 

・体は完全に入れ物だというわかる体験をした。肉体から切り離されるというのではなく、くっついて繋がっているけど、肉体からの刺激(情報)からは完全に切り離された状態。おしり、座っている?どこに?わからない。手と足の先はどこにある?耳とか目どこにある?わからない?といった感じ。

 

そうなると、音が聞こえて来ても、その音は何のイメージ(想念)を生まずに、そのまま過ぎ去っていく。音はじゃまをしない。足の痛み、しびれはじゃまをしない。それに反応するか?しないか?それを選ぶことはできる。でもあえて、選ばない。静かな心の状態をそのままにしたいから。何のイメージもわかない、わくことを選ばないと、想念はゼロになった。でもその時間は長くは続かなかった。

 

 

・自分の過去の記憶の映像を、鮮明に思い出すことができた。それは自分という映画を見ているような感じ。それも途中で雑念とかで脱線することがないので、自分が見たいと思う年代の記憶を、見ようと思えば、1時間でも2時間でも、途切れることなくずっと眺めることができた。(これは浅い集中のとき)


それは自分の過去を遡っていくのだけど、普段思い出すのは、過去の強い印象だけ。それ以外の記憶はずっと閉ざされていて、見てなかった部分も思い出すことができ、それは役にたった。

 

 

・夜、寝てるんだけど、夢がでてこない。頭はパッキパキに目覚めているのがわかるんだけど、想念は静止画像のように流れない。体は寝ているのは、はっきりわかる。このときは時間の感覚もないので、飽きる、寝れないので焦るという感覚もなかった。まるで意識した金縛り状態(笑)みたいだった。

 

 

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こういう体験は、個人差があります。そして、別にこういう体験をしたいから、行ったわけではありませんよ(笑) 集中することによって、心が繊細になっていく。その過程において、毒出し(心も体も)がある程度行われていく。そこに、いろんな気づきがあります。

 

 

静かな心になったとき、平安なバランスを保った見方で、今までの記憶、今の自分、今の世界、出会ってきたもの、つながってきたもの、それらを見ること。そこに、いろんな気づきがあります。

 

 

それは、普段気づくというものではない、その部分での気づきであるし。また普段、気づいても、自分に都合のいいようにしか見ていないので、真の声からの気づきを得るのは貴重な機会(体験)になる。

 

誰もが痛みや不安や問題を抱えているわけで。でも、それを作ってしまうのは、自分の見方に問題があると思うのは、普通だと思う。(不安や問題の理由を、何でも相手のせいにするのは、若いうちはいいけど、年を重ねると、そりゃ生きずらくなるから、普通そうはならなくなると思ってる。)

 

 

でも、なかなか自分勝手が邪魔をしてそんな機会をつくれない。現代は暇時間はスマホで、いろんな情報を得ながら、自分で勝手にTO DOリスト作ってしまう、情報→予定つくる 情報→予定つくる…のくり返しの永遠ループから抜け出せない。「それ、暇時間じゃないから。自分で自分に仕事与えてるから。」なんだけど、手放せないよね。。。その環境では、真の声は全く聞こえない。

 

 

時間はかかるけど、10日間かけて調整させてくれる、このコースはまた有難い環境、機会、時間となりました。また自分にとって次のタイミングはいつなのか?そのときは何に気づくのか?また引き続き興味はあります。

 

じゃあ、何に気づいたのか?ってそれは自分で体験してくださいね~(笑)自分の気づきは、自分だけのものなので、

人から聞いても、なーんの役にもたちません。

 

長文、読んでくれてどうもありがとうございました。

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