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ベストをつくすと得られること(カルマヨガ)

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ベストをつくすかどうか、決めるのは自分しかいない

自己ベストという言葉がありますが、ランナーとか、記録によって結果を求める場合は、それを目標にがんばるのもいいと思います。でも、一般的には目標に向かって、走り続けてばかりじゃ、疲れてしまいますよね?だから、ベストっていう意味を、「常に上を目指す」って意味だけではなく、「今自分が最良と思う選択をする。その中には止まってもいいし、戻ってもいいし、ゆるめても、休んでもいい。それが必要なら。」ってとらえると、少し楽になりませんか?

 

じゃあ、何がベストなの?何が最良の選択かどうか?なんて誰にも分かりませんし、自分がそれを選んだところで、結果なんて分かりっこないです。僕が思うに、そのとき心がそれに集中してるかどうか。それが1つの判断基準ではないかと思ってます。遊ぶなら、本気で遊ぶ。休むなら、本気で休む。それがいい仕事をするためにも、必要じゃないかと思うんです。

 

 

「お金」っていい意味でも、悪い意味でも、その邪魔をします。仕事はお金をもらう以上、責任がでて、それによっても、モチベーションが上がりますが、お金を得るために、好きでもないことをしていると、テンションも下がります。こんだけお金払ったんだから、それだけの経験が手に入るはずだと、僕たちはそういう勘違いをよくします。「見返り」=「お金」という価値も1つの選択ですが、果たしてそれだけでやってくと、ベストつくせるでしょうか?

 

 

では、見返りを期待しないで行動するという1つの身近な例をあげます。

 

例えば、小さい子供のいるお母さんは子育て、家事に年中追われてます。お金ももらわずに。でも、それを適当にしようとも、思わないと思います。(でも、たまにはほどほど休んでくださいね~。)それは、将来子どもに世話してもらうのを期待して、今の役割をがんばってるわけじゃあない。子どもに喜んでもらうことが、自分の喜びそのもの、です。

 

結局は、何を判断基準にするのか?決めるのは自分の心だけなんです。手を抜くことも、本気を出すことも、どちらも選択ができるのですから・・・。じゃあベストをつくすことで何が得られるのか?僕なりの考えを書きました。

 

(1)周りの評価に振り回されない  

今までいろいろ生きてて、僕なりに、周りの評価っていかにあてにならないかを体験してきました。自分がいかによく評価されたいと思って行動しても、必ず否定する人はいます。だったら、自分が最良の選択をして、自分が納得すればいいんじゃないかって思ったわけ。これは、自分に自信があるわけでも、他人の評価に無関心になるってわけでもないです。それに心を振り回されるのがめんどい、エネルギーの無駄ってことに、気づいただけです。

 

(2)モチベーションを保てる

モチベーションって大事です。別に夢をかなえるとか、大それた目標じゃなくても、ささやかな今日1日の目標でも、あったほうが、モチベーションが保てます。「今ここで集中してやる」ただそれです。同じことでも、「適当にやる」こともできます。誰も見てませんし・・・。クラスに1人しかこない。じゃあ、適当にやるか~?反対に、いっぱい来てくれるから、がんばるか~?そこじゃあないです(笑)。ただ集中してるかどうか?が大事。自分に嘘はつきたくありません。

 

(3)カルマがたまらない

これはヨガ的な解釈です。過去のいい行いは、いい結果(カルマ)に。悪い行いは、悪い結果(カルマ)になります。将来、悪いことが起きたら、そりゃ自分が過去に悪いことしたからだよって解釈です。でも、結果なんて「いい」か「悪い」か?神様は決めません、ただ結果を与えるだけ。それを判断するのは自分だけです。ベストをつくして、後は任せるというふうに、もしできたなら、カルマはたまりません。(つまり悪い結果を、自分が「わるい」と思わなくなるということです。)

 

(4)今(今日)が有意義になる

毎日、当たり前の日々が、実は当たり前ではなくなります。じつは「当たり前」の反対の意味は、「有難い」=「ありがとう」です。もし、仮に、病気になってあと何年も生きれなくなったら…毎日、朝起きて1日の始まりに感謝して、寝る前に無事生きれて感謝するでしょう。どこか、体が痛くなってしまうと、普段の何もない状態がとても有難く感じます。なにが最良の選択かどうか判断で悩むのではなく、その決めたことを集中してやろう。それで、ただ今(1日)が有意義に、有難いものであれば、それでOKじゃないでしょうか。

 

(5)自己肯定できる

ベストをつくして、得られる中で、1番これが大きいんじゃないかってと思います。生きてる時間のなかで、自分を否定する時間をできるだけ減らしていくことは、自分を大切にして生きる、とても有意義な時間の使い方だと思います。過去の過ちの自分を許し、自分を認めてあげるのは、自分しかいない。ベストをつくして、後悔することは絶対ありません。そこにベストをつくす意味があるんじゃないかなって思います。

 

たとえば、誰かのために最良だと思う選択をして、何かをしてあげたとします。でも、その人はそれによって、何も変わらなかったり、別にそれを有難いともおもわなかったりします。そうすると、がっかりしてしまいます。でも、自分がその人のためにしてあげた時間であり、手間は、決して無駄ではありませんでした。結局は自分が、自分を肯定することができたのですから。

 

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。

たとえそれが十分でなくても、気にすることなく最良のものを、この世界に与え続けなさい。最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです。あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。 - マザーテレサ

 

この言葉は大好きな言葉です、何が最良かどうか?いつも迷ったときに読んで、勇気を与えてもらってます。

いい結果をだすには、ベストをつくすことが大切ですが、でもいい結果に、とらわれてしまうと、逆にストレスになってしまいます。そもそも、「結果なんて、誰にもわかりようがないので、ベストをつくす(今に集中する)ということ自体を、結果としてとらえましょうよ」という生き方のことを、カルマヨガといいます。

 

社会全体とか、会社が結果主義であっても、人の価値(人生の価値)は過程そのものが結果でないと、不自然な世界になってしまいます。その人が何点とったか?どんな資格を持ってるか?通帳にいくらお金が入ってるか?ではなく、どのように毎日を生きて、過ごしてるのか? 正直に生きてるか、どうか?そんな見えない過程を大切にすることを、カルマヨガでは学んでいきます。 

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