【手づくりのガネーシャ】
ガネーシャの神様が好きで、廊下に、このガネーシャをつくりました。
最初に木で枠を作って、あとは畑の土をこねて、粘土でつくりました。最後に、うっすらとセメントで表面を固め、ペイントを少し入れて完成。
高さ1メートルくらいあって、とっても存在感があるので、お供えをしたりして、身近に神様を感じれるようにしてます。
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「神様って気軽に作っていいの?」ってきかれそう(笑)
いいんです。だって、これは神様ではなくて、
神様の偶像ですから(笑)
私たちは、よく、方法と本質、
これをごっちゃにしてしまいます。
偶像にお祈りするのではなく、本質にお祈りする。そんなお話。(あくまで僕の観点で書いてます。)
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◆神様はどこにいるのか?
これは「いる」ともいえるし、
「いない」ともいえます。
なぜなら、神様も天国も、
全部頭の中の「概念」だから。
だから、いる人はいるし、いない人はいない。
それは、消したり、書いたり、どんな世界を作っても、「個人の自由」です。
(※だから、他人に神様を押し付けるのは、タブーなんです。)
神様が欲しい人は、
好きなイメージを作ればいい。
だって、自分の頭の中にあるものですから。
それをどのように育てていくのか?
じゃあ、それで何が得られるんでしょう?
◆私たちが見ている世界は、頭の中の概念
私たちは、何かを見たときに、そのものではなく、
そのものから生まれるイメージ(概念)を、頭の中でつくって、それを見ています。
そして、そのイメージは、
自分で自由に作り出すことができます。
(例をあげると、「お金=いろんなことができる、というイメージ」として見てます。だから、手に入れたいです。決して、材料の紙が欲しいわけじゃないですよね。)
同様に、「神様の像」を見てるとしたら、そこに 「神様のイメージ」を見ています。
神様の像に手を合わせているとき、
でも実際には、その向こう側にある自分でつくった、こんなイメージ(概念)に手を合わせています。
※手を合わせるのは、
「大切にします、敬います、委ねます、感謝します」の表現方法です。
◆「神様イメージ」
実際、こんなイメージに手を合わせているんじゃないでしょうか?
※イメージしやすいように、(人)をつけてみました。
・【完全性】…なんでもできる、カンペキな(人)
➡だから、困ったときに「神様、助けてー」ってなります。
・【純粋性】…まったく汚れ1つない、きれいな(人)
➡だから、お寺に行くと、気持ちがスッキリ~ってなります。
・【創造性】…なんでも作れる(人)
➡自然の色、美しさ、葉っぱや鳥や虫の音、そんなの神様しか作れないってものが、たくさんあります。だから、そこに触れると、感動します。
・【完全な正しさ】…絶対に、いつでも、どんなときも信じられる、頼れる(人)
➡それは、私の良心になります。いつも神様が見てますよ~。だから、人が見ていなくても、悪いことやっちゃだめ、となります。
・【純粋な愛】…すべてを与えてくれる(人)、さらに一切受け取りません。
➡世界のすべての生き物に食べものや住む場所を与えてくれる。また食べものだけでなく、いいことも、悪いことも全部与えてくれます。それをうまく活かそう〜、となります。
➡だから、そこに感謝の気持ちがでてきます。同様に、人に喜んでもらいたいから、何かを与えたい!という気持ちもでてきます。
自分の頭の中に、これらの概念を育てていくことが、「信仰」かと思います。
なので、みんな、たとえ「宗教」は持ってなくても、「信仰」は持ってるはず。
◆「自分のなかに、この概念を育てていくと、、、それが自分と重なってくる。」
というのは、なんで手を合わせるのかっていうと、
そんな人になりたい、からじゃないでしょうか?
なりたい自分、それって
「自分の本質(純粋な自分)」のこと。
自分の本質(完全)と向き合ったときに、
今の自分が何か足りないんです(不足)
足りないから、
学んで、気づいて、反省して、
それを補おうとする。
それを取り除こうとする。
日々の行いを、神様が見ている
身近に神様がいる
すべてが神様
…とおもったら、
日々やることの意識が変わります。
毎日が丁寧に
それが心の成長に
お祈りを育てる=自分を育てる
ことになります。
だから、お祈りと心の成長って、
切っても、切り離せられないん
じゃないかなあと思う。